新設:2004-12-01
更新:2020-06-16
略歴-1
- 1899年9月20日~1952年7月1日(享年52才)
- 本名:松木利次
- 明治32年(1899)9月20日 信州諏訪湖畔、上諏訪町に姉3人の長男として誕生
後に 弟2人が生まれた
- 尋常高等小学校時に、”吃音”を矯正するため、姉から詩吟の手解きを受け、幾多の苦難のすえ、本格的に詩吟を始めたのが 大正10年(1921) 22才のときであった。
- 全国詩吟奨励行脚を行い、詩吟の普及活動を行うと共に、全国に残る詩吟を研究し独自の吟法を確立した(1927年~1943年、28才~44才)
- 昭和11年(1936)3月15日 「日本詩吟学院」を東京九段に創設
- 昭和27年(1962)7月1日 鵞湖吟社(生家)奥座敷で逝去
- 近代吟詠の祖といわれる
略歴-2
木村岳風の恩師といわれる伊藤長七に関わる事項を含めた略歴
明治32年(1899) 9月20日
長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)で誕生
大正 4年(1915) 3月
3年修了で中退、片倉製糸本庄工場(埼玉県)勤務後、同朝鮮工場立上げ技術指導で朝鮮へ
大正 6(1917)年
片倉製糸を退職、帰郷し練炭製造販売などを試みるが運悪く失敗
大正10年(1921)
上諏訪町役場学務係となり、先輩の上原栄氏から朗吟を習う
大正11年(1922)
上京し、新聞配達、人力車夫、貸本屋を経て、木材、下駄、味噌等の販売を試みるが何れも失敗
大正14年(1925)
各種事業に失敗の末、郷里の先輩・伊藤長七を訪ね、詩吟で身を立てるよう助言を受ける
大正15年(1926)
伊藤長七の胆入で「国楽振興会」を起し、詩吟奨励部長の肩書で伊藤長七らの紹介状を持って全国詩吟奨励行脚開始 併せて 全国に残る詩吟を研究、昭和18年までに独自の吟法を確立 → 近代吟詠の祖といわれる
昭和 4年(1929)
広島放送局から詩吟の初ラジオ放送、伊藤長七の東大病院から平塚の杏雲堂病院分院への転院を知らず、全国詩吟奨励行脚先から東大病院宛に見舞状を送り続ける
昭和 5年(1930)
4月19日の伊藤長七逝去を知らず、日本全国を廻り、朝鮮、満州に渡り、九州、中国、近畿を経て東京に戻ったのが同年12月27日であった
昭和 6年(1931) 4月19日
伊藤長七追善弾奏のため 琵琶歌「嗚呼伊藤長七先生」を謹作、同年5月8日 諏訪の都座で開催の「琵琶と詩吟の夕べ」で弾じ吟じた
昭和10年(1935)12月14日
頭山満翁の媒酌で高橋宣子嬢と結婚
昭和11年(1936) 3月15日
日本詩吟学院(現在の公益社団法人日本詩吟学院) 創設(於九段一口坂)
昭和18年(1943) 5月
長年にわたる過酷な詩吟普及行脚のため病に臥す
昭和21年(1946) 1月 1日
NHK元旦放送 山田積善・伊藤長四郎と3人で佐佐木信綱の和歌(春ここに)を朗詠
昭和27年(1952) 7月 1日
永眠(52才)
昭和27年(1952) 8月 3日
木村岳風日本詩吟学院吟詠告別式(於東京護国寺本堂) 東京都知事外各界名士多数参列