木村岳風先生の「竹馬の友」であった 竹ノ内岳宗先生を紹介します
小学校5年の時は教室で席を並べて勉強、諏訪中学入学後は誘い合って通学
しかし、竹ノ内先生が諏訪中学を3年限りでやめ 東京に出たため 交遊が中断
岳風先生と竹ノ内先生が 再び会したのは、昭和6年4月
東京府立五中校長・
伊藤長七先生の追善をかね
琵琶と詩吟の集いを したいといって来られた時
当時、竹ノ内先生は諏訪の新聞社に勤めており、社長・小口貫一氏に依頼
小口社長は、諏訪市内劇場都座にて信陽新聞社主催での開催を快諾
追善の琵琶と詩吟の集いは
伊藤先生出生地・普門寺青年会の後援を得
非常に盛会で 岳風先生は喜ばれた
岳風先生は 「
琵琶歌嗚呼伊藤長七先生」他を 熱吟された
以降、竹ノ内先生は 岳風先生の意向を受け、朗吟の普及発展に傾倒
戦争中は よく岳風先生の訪問を受け 竹ノ内宅宿泊も多かった
長野県本部長に就くなど 戦中・戦後を通じて 吟道に大きく貢献
長野県地方吟会の重鎮として 涙ぐましい努力を傾けられた
祖宗範木村岳風夫人・宣子逝去後の 昭和41年以来
岳風先生の生家・鷲湖吟社に管理人として入居
岳風先生の墓辺を浄める守護職として 霊を守り 人徳高潔
会員から ”今良寛さま” と慕われたが 平成4年没した
竹ノ内先生は、地蔵寺東参道の六地蔵近傍に 静かに眠っており
岳風先生墓参の帰路に 立ち寄ることができる
木村岳風先生、竹ノ内岳宗先生は 共に子宝に恵まれなかった